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Carte Blanche

男の歯は不自然にほそく尖って黄ばんでおり、そして右の肩がひどく傾いでいた。
そしてその二点だけが、男の容姿を美男子と呼ぶことを躊躇させる原因となっていた。彼女は肌の湿った変温動物を想像する。その映像は容易には消えようとしなかった。
「白い花ばかりね」
いぶかしげな男の表情に、もう一つ二つの単語をつけ加える。「あなたの彼女への贈りもの」
「白い花は好きだ」
「なぜ」
「これもセキュリティチェックの一環?」
「イエス、サー」
日光の届かない室内で振り向いた砂色のスーツ姿の顔は青黒くくすんでおり、男が当初の印象より随分と年齢をくっていることに彼女は気づく。
「ーーカサブランカにトルコ桔梗、シクラメン、胡蝶蘭。それとそれ」
男の腕の中を指差してみせる。「バラはとっときのって訳ね」
「カルト・ブランシェだ。こいつはありふれてるがなかなか難しい」
「むずかしい? 」
「大輪の方が美しいな。けれど開きすぎても品がない」
「財閥の御曹司が花屋もやってるとは知らなかった」
「なけなしの趣味でね。すべて僕が栽培した」
穏やかなバリトンで、知性を持った爬虫類が応える。「彼女は白が好きだと言った。君もかい」
「花なんて全部同じにしか見えない、悪いけど」
「で。君の審査には僕はもうパスしたのかな」
「彼女はひどい花粉アレルギー持ちって知ってた?」
「いいや」
「という訳でそいつは没収するわ」
「おやおや。会えないのか」
「私の主人は留守よ。今日はね」
そう、と歪んだ肩をすくめて男が白い花束をテーブルに置いた。ほんの少しの間黙ってカフスボタンを弄っていたが、ふと顔を上げる。「君に会うのは初めてだと思うが」
「そうね」
「どうして僕が贈った花の名前を?」
「彼女の受け売り」
「最近、ブライアント嬢については面白い噂があってね」
返事の代わりに眉を上げただけの彼女に向かって、男がしずかに微笑む。「どうも新しい愛人ができたらしい。相手は黒人の女だとか。それも美しい銀髪の」
壁際で黒いジャケットの腕を組んだまま、彼女は短く声をたてて笑う。
「そりゃ確かに面白い話ね」
「あながち嘘とも思えなくなってきたな」
「嘘だと思ってたってこと。それともそう思いたかった? 」
ふむ、と首を傾げてから男が少し考え込む。「僕は自分の理想に自分で恋するほどおちぶれてはいないよ」
「彼女に聞けば早いわね」
「会えないことには聞くこともできないがね」
「チェックは終了。貴方は帰っていいわ」
上半身を壁から離すと、ベネッサが笑顔で軽く右手を振った。「何かメッセー ジがあるんなら伝えておくけど」
その顔を穴が開くほど見つめてから、男も乾いた声で笑った。
 
 
 
というわけなんだけど。
椅子に座ったまま渋い顔でテーブルの上を睨んでいたサラが、その声に目を上げる。
「何が、という訳なのかさっぱりだわ」
「だから今説明した通り」
「帰ったのね? 」
「急いでたんじゃないの」
「誰の挨拶もなしに彼を帰したのよ」
「そうなるね」
「サンフランシスコ・クロニクル紙の筆頭株主に、掃除機のセールスマンみたいに門前払いを食わせたってこと。あんたにその意味が本当に分かってるなら有り難いんだけど」
開け放しの窓から、力を失った陽光の残滓とほんのわずかな風が二人の周囲に届く。日没まではさほどの時間もなさそうだった。
「あの花オタクがそんな大した男だとは知らなかった」
「あんたには何も期待してないわ」
「自分から帰るって言ったんだしね」
隅に置かれた胡蝶蘭の鉢を、さして熱のない目で覗いていたベネッサが肩をすくめる。「まあ引きとめもしなかったけど」
「......自分から? 」
「そう」
「なにか言ったんでしょ」
「なにかって何を」
「あの男を不機嫌にするようなことを」
「珍しいね。あなたがそんなことを気にするの?  サラ」
テーブルから届いたのは気色ばんだ返答ではなく、ただのため息だった。「私 はどうでもいいわ。でも兄貴や父にとってはそうもいかないでしょうね」
サラ。
首の動きだけで振り返り、ベネッサがもう一度だけ呼ぶ。
「なによ」
「白い花は好き? 」
「紫よりかは嫌いじゃないわよ」
「好きなのかって聞いてるんだけど」
返事の代わりに、ふんと笑ってサラが椅子の背にもたれた。ふと、その視線がテーブルに放置されていた花束の上で止まる。用心深く指を伸ばすと、ブルーのリボンと薄い包装紙で束ねられた花の群れから、小さな白いカードをつまみ出した。
裏返してそこにあったメッセージを読みながら、サラの眉が大きく上下する。
「やっぱり」
「ん? 」
「ろくでもないことを言ったのね」
背後からの応えはない。
カードをぽんと放り、椅子を引いて立つ。
 
 
 
花ばさみと金属の水桶を持って戻ってきた時、ベネッサは既に室内の鑑賞に飽きたのかテーブルの前にいた。サラが座っていた椅子に勝手に腰を掛け、肘をついたままで無遠慮な視線を向けている。
テーブルの花束の包装を解く。一つ一つのバラを選り分け、棘だらけの茎から下葉を落とし、長すぎる茎は切りつめていく。
ベネッサはその様を面白そうな顔つきですべて眺めていた。その右手はまだ先ほどのカードをひねくっている。
「さっきの答えだけど。白い花は好きじゃないわ」
手元を休みなく動かしながらサラが告げる。
「ふうん。理由は? 」
「似合わないから。私にはね」
「関係ないけど」
それ、とサラの濡れた手元を指した。「切り過ぎじゃない? 」
指を伸ばしてベネッサの顎を捕まえる。彼女が気付いて逃げる前に、そのジャケットの襟に白い花を挿した。

2006.9.21
バーチャファイター ベネッサ&サラの小話です。セレブリティバカップル万歳。
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